やいとの想い出掲示板



カテゴリ:[ 告白・裏話・体験談 ] キーワード: やいと お灸 しつけ


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[1030] 愛読者さま、お姉さまへ

投稿者: やいとむすめ 投稿日:2017年 8月22日(火)10時51分59秒   通報   返信・引用 > No.1029[元記事へ]

愛読者さま、お姉さまのやいとの想い出ばなし拝読いたしました。
自分のことと、照らし合わせお話を読ませていただきつつ、感動し想い出にふけっておりました。
愛読者さま、お姉さま貴重なお話をありがとうございました。
お姉さまも、和子さんもともに銀行にお勤めだったとか、さぞかしお綺麗で、優秀な方だったと思います。
そんな大変出来の良い娘さんでも、お仕置き、行儀のやいとをしっかりと据えられたんですね。
私の娘時代地元の大阪(恐らく全国どこでもそうだったでしょうが)では、女子銀行員には滅多になれるものではありませんでした。
容姿端麗は当然の事、成績優秀で人柄も良く、お家や親戚の調査もあったそうで、娘さんが銀行に入行なさったとなると、親御さんも鼻高々で、縁談も素晴らしいお相手からお声が掛かり、引く手あまたで有ったように聞いていました。
母が言っておりましたのを思い出しますが、銀行はお金を扱う大変な仕事、ご家庭の厳しい躾けを受けて来られて、善悪のしっかりした方、素直でしっかりした性格の方が多くて、そういった方を重点的に採用されたとか。
当時の大阪の話では、大きなやいとを据えられた娘さんが多かったとか、それは本当かも知れませんね。




[1029] 長姉の思い出話

投稿者: 愛読者 投稿日:2017年 8月21日(月)12時23分50秒   通報   返信・引用

お盆は帰省しました。姉は時々畑に出ることもあり元気です。パソコンは触りませんので息子の嫁さんにこの掲示板は読んでもらっています。やいとの話は昔を思い出すそうです。姉が銀行へ入った頃は新入社員の歓迎会を兼ねて5月の連休に1泊2日の旅行があり、それは日当が支給されたそうです。その年は広島の宮島であり、気軽にだれかれとなく話すことが出来その後の業務がスムーズにいったとのこでした。なかでも2年先輩の本屋の和子さんは親切に教えて下さり、休みの日も一緒に買い物に行ったりと大変仲良くなったということでした。
翌年は有馬温泉でこの時は和子さんと同部屋となり嬉しかったと。これは和子さんが旅行委員の方にお願いしたというこでした。宴会、余興も終わり2人で部屋に帰り、冷蔵庫からビールをだし飲み始めていると和子さんが「実はね去年の宮島の旅行の時、お風呂場であなたと一緒になったのよ、その時あなたの腰の方の5個のやいとの痕が大きくて真ん丸く、すこし深みがあり今でも目に浮かぶよ」と言われ姉は「妹も全く同じ場所に5個のやいとの痕がありますよ」言うと少し上気したような感じで「また、お風呂でみせてね」と言われ2人でお風呂に行ったそうです。そして2人は交代で背中の流しあいっこをしたそうです。先に姉が流してもらい和子さんは流しながら、やいとの痕を指で押さえ「魅力的だね」「いい感じ」と言われたそうです。次に姉が和子さんの背中を流すと、少し前かがみの姿勢をとられ、やいとの痕がよく見えたそうです。和子さんは、ちりげに1個、命門に1個、その下左右に1個ずつ、お尻の割れ目の少し上から腰に向かって3個の計7個あったそうです。いずれの痕も姉と同じく500円玉より少し小さくて丸かったと。より深みのあるのは命門とお尻の割れ目のすぐ上の2個だったので姉は指で押さえ「この3っつは堀が深いね」といったそうです。
すると和子さんは、「その3個はお仕置、行儀で中学2年の秋まで年に3~4回は据えられた」と。そして熱くて痛くて泣きに泣いたと懐かしそうに言われたそうです。
そして部屋に帰りくつろいでいると和子さんが「そう言えば1ヶ月前に本を破った弟さんはどうしたの」と聞かれたので姉は「和子さんの言ったとうり、やいとを3個据えたのよ。母が1個、私が2個、特にお尻の割れ目の1個は艾を大きくして、そして10壮位据えた時に母がもういいかなと言ったけど、7~8壮位多く据えた。弟は大泣きしていたけど母と妹にしっかりと押さえ付けさせ据えた」と言ったそうです。和子さんは「本人の為だからね」と言い「今後もまだまだよ」と言われたそうです。
私は姉の息子の嫁さんが笑いながら聞いていたので、やれやれと思っていました。それでは又。



[1028] 谷町九丁目(3)

投稿者: Achichino 投稿日:2017年 8月21日(月)09時42分48秒   通報   返信・引用

谷町九丁目(3)

廊下を左へ10歩ほど行った所に障子も襖もない大きな部屋があります。その部屋の角に立札があって、「血圧の高い人はやいとはできません」とあります。そこが、やいとの受付でした。部屋の左手奥に立派な祭壇があって、その前に座布団が6~7枚敷かれています。やいとを据える場所です。すでに4~5人が「熱い~、熱い~」と呻き声を上げながら据えられていました。ボクがその様子を見ていると、太いお線香を持ったおばさんが、「やいとするなら早く支度してください」と声をかけてきました。とっさの事なので慌てたボクは「ちょっと、様子を見に――」と言いよどみました。お線香おばさんは、部屋の隅にいた灸点を決める尼さん向かって、「この人、今日はやいと据えはらん、ゆうてはります」と告げました。それから、ボクに向かって「ここは見学はできまへん。やいと据える時、また来てください」と冷たい口調で言いました。そして、まだもじもじしているボクを見て、おばさんはとっとと帰れと言わんばかりに「ほな、よろしいな」と厳しく言い添えました。ボクは「はァ--」と曖昧な返事をしながら部屋を出ました。
その間わずか2~3分だったでしょう。だがそのわずかな間に、ボクは、セレブな若奥様(?)がパンタロンを膝下まで下げて、祭壇へ向かって正座している後ろ姿を見逃しませんでした。パンティーをづーっと下までおろして、真っ白なむき出しのお尻が丸見えでした。腰えくぼの辺りにワインのコルクのような大きなモグサが二つ乗っていました。
 外へ出てからも、そのシーンが頭から離れません。今頃はモグサに火が付いて、あの人の腰から薄い紫煙が上がっているだろう。きっと顔をゆがめ、下唇を噛み締め、低い呻き声を上げながら熱さをこらえていることだろうか。それとも、「熱い、熱い~、ああ、あつい~!」とあらわに声を上げているかもしれない。妄想が頭の中を駆けめぐります。ああ、彼女が身悶えしながら、打膿灸を据える現場を、この眼で確かめたかったのに――!



[1027] 谷町九丁目(2)

投稿者: Achichino 投稿日:2017年 8月21日(月)09時35分42秒   通報   返信・引用

谷町九丁目(2)

ボクの数メートル先を、濃紺のパンタロンに純白のブラウスというシンプルな着こなしの女性が歩いています。上背のすらっとした気品のある感じの女性です。高級ブテックで買い物が似合いそうな様子です。それとも、後姿からの判断ですが、30前後のセレブな若奥様でしょうか。「こんな品のいい若い人が、大きな灸痕が残る無量寿さんを据えるはずがない」と、ボクははなから諦めていました。奇跡でも起らないかぎりありえません。
女性が光正寺の門まで来たとき、彼女はそこで周囲を確かめるふうに、一瞬歩みを止めました。ボクはその瞬間“どきっ”としました。「え、何で――、まさか? 無量寿さんへ入るのだろうか」。ほんのわずか立ち止まった彼女は、そのまま門の中へ消えました。ボクが慌てて光正寺へ行ったときには、境内に彼女の姿はありませんでした。奇跡だ、奇跡が起ったのだ。ボクの心臓は痛いほどドキドキとしました。「――でも本当に、こんな若い女性が無量寿さんの打膿灸を据えに来たのだろうか」、ボクは事態の意外さに半信半疑でした。でも彼女が中へ入ったのは事実なのです。あれこれ考える必要はありません。ボクも彼女の後を追って、門をくぐり、玄関を開けて、靴を靴入れに入れて、廊下へ上がりました。モグサの強い匂いがしています。



[1026] 谷町九丁目

投稿者: Achichino 投稿日:2017年 8月21日(月)09時29分29秒   通報   返信・引用

Ⅰ 谷町九丁目(1)

大阪の地下鉄、谷町線の「谷町九丁目」で降りて四番昇降口を上がり、生玉神社方向へ歩く。10分もすると信号機の付いた大きな交差点へ出る。ここが谷町九丁目で、角にコンビニがある。ボクはこの店で500ミリの牛乳パックと菓子パン三個、それにスポーツ新聞を買って、店前の空きスペースに坐って、ゆっくり新聞に眼を落とす。
顔を上げると二車線道路を挟んで正面に、打膿灸で有名な「無量寿」(光正寺)の入り口が見える。ときどき信号待ちの車が邪魔をして、視界が途切れるがその車もすぐに立ち去って、また無量寿がはっきり見えてくる。
今は、五月連休の朝の九時少し前。まだ人の通りは少ない。新聞をゆっくり読んでいるボクの姿は、一見休日の朝を気ままに楽しんでいる風に見えるにちがいない。だがボクはときどき新聞から眼を上げて、無量寿へ鋭い視線を送る。九時半を過ぎたころから、道路は徐々に人の通りが増えてきた。日和がいいのか、やいとを据えに光正寺の門をくぐる人が出始めた。歩くのがようやくと言った様子でトボトボと門をくぐる老夫婦。苦しそうに杖を頼りに境内へ入るおばあさん。みな、やいとを据えに来たのだ。こうしたお年寄りにはボクは心が動かない。若い女性が無量寿の打膿灸を据えに来るのを、今、辛抱強く待っているのだ。
若い女性は幾人も無量寿の前を通り過ぎるが、門をくぐる人は一人もいない。10時過ぎても、10時半になっても期待する若い女性は、みな無量寿という寺があるのを意識すらせずに通りすぎる。「もうだめなのだろうか――」と諦めて、光正寺さんとは反対方向にある「赤壁の無量寺」へ廻ってみた。しかしここは、人が通る気配さえしない。やはり駄目です。気持ちが収まらないままに、無駄と分っていても、もう一度光正寺へ戻るしかありません。11時を過ぎているようで、朝から緊張しっぱなしのボクは疲れてしまい、力なく光正寺へ戻ッた。



[1025] お盆

投稿者: 和代 投稿日:2017年 8月13日(日)12時03分0秒   通報   返信・引用   編集済

お盆で実家に来ています。
昨夜、夕食後母に頼まれて腰にやいとを据えてあげました。据えながら母のお尻のやいとの痕を触って、お盆のお参りのお客さんの前で行儀が悪かった時、「お母ちゃんにようやいとすえられたなあ」とやいと談義
「お母ちゃんもおばあちゃんにやいと据えられたんやなあ、おいどにこんな大きな痕があるわ」
「そやなあ、和代 あんたもうつ伏せになり、久し振りにお母ちゃんがやいと据えたげる。」
何だかそんな気になってうつ伏せになると母は素早く太股に馬乗りになってショーツを下げました
「まだ、やいとの痕のこてるな」見ると小指くらいの もぐさを持っていました。
「お母ちゃん、そんな大きなやいと、堪忍して。」
「こんな大きなおいどに小さいやいとでは効かんやろ
これぐらい辛抱し。」
お尻に黒い焦げ痕が着きました



[1024] Re: 長姉のジャッジ

投稿者: nao 投稿日:2017年 8月 9日(水)15時59分35秒   通報   返信・引用

愛読者様

本を破ったり、暴れたり  まぁ やいとが必要でしたのね?
イライラしたり、何かにあたったりするのは子供の頃は癇がおきていると。。。
癇のヤイトを据えなと言われて、やいと用の座布団のところに連れて行かれるのは愛読者さまと同じようです。ちょっと違うのは やいとを据えるところに必ず墨で印がつけられます。それも硯の墨にやいと線香をつけて、墨の付いた線香で印がつけられます。
大体4か所から8か所のあいだです。愛読者様は大きなどんぐりやいとですので3か所ぐらいですが、私は子供の頃から5か所ぐらいは普通に据えられます。ただし、小さいのでひとつずつは最初だけで、すぐに2か所ずつ据えられれて次から次と熱く痛くなりますが、小豆ぐらいのもぐさなので大きくはないです。
それから、もぐさの袋は松山の湯さらしもぐさは上質ですが安くて大量に入っていると聞いたことがあります。それ故に昔は普段からやいとが子供から大人、老人と普通に見られた光景で、道後温泉でも地元の人が行く温泉は女湯でも背中から腰にやいとの痕がある人が多かったです。
私も何かあると癇のやいとを据えられた遠い昔を思い出しました。



[1023] 長姉のジャッジ

投稿者: 愛読者 投稿日:2017年 8月 6日(日)12時12分46秒   通報   返信・引用

照代さんの投稿を拝読し私のお仕置やいとで忘れられない思い出はと思った時、分からない部分があり長姉に電話し聞いたところその時の事を良く覚えており話してくれました。 それは私が小学5年生へ進級する直前の春休みでした。兄とお菓子の奪い合いで取っ組み合いの喧嘩になり体力で劣る私は負け多くを兄に持って行かれました。怒った私は食卓の上に置かれていた兄の新教科書、英語と国語をズタズタに破り放り投げました。次に数学の本を手にした時、騒ぎを聞きつけた次姉が飛んで来て私の手から本を取り上げ兄に食卓の上に置いてある教科書全部を向うに持って行くように言いました。そして私を叱りながら落ち着かせようとしていました。しばらくして母が役所の勤めから帰りいつものように夕食の準備を始めると、まもなく長姉も午後6時頃銀行の勤めから帰ってきました。次姉は2人の喧嘩の原因を説明し破れた教科書2冊長姉に見せました。 すると長姉は2冊の教科書を持って出て行きました。40分後位に2冊の真新しい教科書を持って帰り兄に手渡しました。それは長姉の勤務する銀行の2才上の同僚の家が本屋で訳を話して取り換えて頂き、そして、その同僚から今後の事を考えやいとを据えておいた方が良いと言われたという事でした。
それから夕食の準備が出来ましたので皆で食べ始めました。その間中、兄は長姉から怒られ続けていました。
そして夕食が終わる頃になると長姉は私に「この後、やいとを据えるから」と言い母に「艾はどの位あるの」と聞きました。母はすぐに仏間へ行き仏壇の引き出しを開け「3袋ある」と言いました。
食事の片付けが終わると私は母と長姉に仏間に来るように言われ泣きながら謝りながらいきました。
仏間に行くと直ぐにうつ伏せにされ裸にされ、母が太腿の上に乗り2人の姉が両肩を押さえ、母が命門のやいとの痕の上に艾を乗せ線香で火をつけました。すると凄い熱さと痛さが伝わって来、私は大泣きで謝りました。それが10回位続き母が馬乗りから降り姉達も両肩から手を離しましたので私も終わったと思い立ち上がろうとした所、長姉が「まだだよ」と言いながら今度は長姉が太腿に乗り母と次姉が両肩を押さえました。
次は命門の下のやいとの痕の上に10壮位据えられました。私は大泣きの大泣きです。すると母と長姉の小声で話す声が聞こえ少し間もありましたので今度こそ終わったと思いましたが長姉が馬乗りからおりてくれません。話し声が聞こえなくなった思うと長姉の指が私のお尻の割れ目のやいとの痕を押さえました。
艾を大きくされたのか先ほどの2個と違いもの凄い熱さと痛さが来ました。まるで釘を打たれたようでした。
やはり10壮位据えられ、やいとのお仕置がおわりました。やはり、やいとの効果があったのか以降はこのような短気は起こしませんでした。
2~3日後、3軒目の文房具屋へノートと鉛筆を買いに行くと1才上の可愛い良子さんが出てきて応対してくれました。その時良子さんが「この前のやいとはどうしたの」と聞いてきましたので、訳を話すと「仕方がないね」と言い「私だったら5個は据えられた」といいました。何だかホッとした気持ちになりました。
ところで、naoさん浴衣を前後ろにしてのやいとは色気を感じゾクゾクしました。すみません。それでは又。



[1022] 1学期末の日のやいと

投稿者: 照代 投稿日:2017年 8月 2日(水)15時21分45秒   通報   返信・引用

最近は終業式が7月21日で翌日から夏休みの学校があるようですが、私が学校に通っていた頃は7月19日が終業式、20日から夏休みでございました。
近くの神社のお祭りもあり、家では土用の丑うなぎ丼やお寿司が出たこともありました。
昭和36年の7月19日は、そんな嬉しい事がかすんでしまう、熱い熱いやいとを据えられることになってしまいました。
その年は、推薦入学で名門と言われるお嬢様高校に入れていただき、入学が決まってからは一切勉強もせず、ただただのんびりと好き勝手な毎日を送っておりました。
4月に入り、入学式が近づいても、だれた生活を送り続けておりました。
見かねた母から、姉を見習って少しは勉強をし、あるいは買い物のお使いや家の用事をしなさいと説教されましたが「馬に念仏」一向に改善の様子が無く、高校になって初めてのやいとを据えられたのでした。
腰の殷の目、お尻、それが終わってお膣周り、更に仕上げは初めての会陰に据えられたのです。
止めに来てくれた近所のおじさんのお蔭で、会陰には一個一壮で許してもらいましたが、初めての会陰は想像を絶する辛いものでありました。
さすがに、やいとの効果で暫くは学校から帰り宿題もし、復習もし、私なりにそこそこ努力したものでした。
中間テストの結果は、概ねクラスの丁度真ん中位だったような気がしました。
あの辛い辛いやいとも、一か月二か月と時間の経過とともに、身体の記憶から遠のき、怠け癖が頭をもたげてきました。
1学期末テストを前に、のんびりと構えている私を見て、母の方がハラハラしていたに違いありません。
なんとか、みっともない成績を取らないで、お母ちゃんがかっこう悪(わる)ーて学校の父兄会に行かれへんようなことにならんようにしてや、と何度も言っておりました。
終業式の当日、高校生初の通知簿を渡されさすがの私も血の気が引くように思いました。
主要科目は5段階評価で、国語(甲、乙)、数学、社会(世界史など)が3で理科(化学、物理)と英語が2、あとは保健体育5音楽4家庭3だったと記憶しています。
それを見た母は、ある程度予想していたのか、思ったほど驚きませんでしたが、さすがに全身の力が抜けたようにがっかりしているのが手に取るように分かりました。
開口一番、推薦入学させてくれはった中学の先生に会わす顔が無い、今後の推薦希望の子にも影響するしな、と。
あんた、きょうはお風呂屋さんから帰ったらよう堪えるように大きなやいとようけ(たくさん)据えよな。
折角のお祭りも、おいしい晩ごはんも、やいと待ちの時間は何とも言えない不安と恐怖でこんなに嫌なものはありません。
お風呂屋さんでも、ひとことも話さず死刑(に等しいほど)を待っているようでした。
やいとは、4月と同様、腰の殷の目、お尻に4か所2壮づつ、前はお膣周りに今回も2段(4個)2壮づつでした。
もう涙で顔はぐしゃぐしゃ、声もかすれておりました。
前回の仕上げは会陰に一か所1壮でかんにんして貰いましたが、今回は2壮、さらにお尻の割れ目を広げて肛門に一番近いところ、すなわち肛門を挟んで会陰と前後で対になるように2壮のやいとを据えられたのです。
会陰がどんなに熱くて辛いものかは前回でよく分かりましたが、お尻の割れ目も肛門に近いほどその熱さたるや言葉ではいい表せられないものでありました。
ここは、今回初めて据えられました。
お膣周り、会陰、お尻の割れ目と続けられ、やいとがこんなに辛いものかを15歳の身体全体に充分に思い知らされました。
このやいとは、本当に良く効き、その日から勉強にも真面目に取り組むようになり2学期から成績はかなり改善いたしました。
その後も高校3年の卒業まで、ゆっくりではありますが上昇基調となりました。
卒業時の通知簿は国語(甲5、乙4)数学、社会(日本史など)が4、理科(化学、生物4)英語3とあの熱いやいとの日から随分改善いたしました。
今回のお仕置きやいとも両隣とお向かいのおっちゃんが止めに来てはくれましたが、母の権幕には歯が立たず期待はあえなく消え、その恩恵(やいとが減る)は一切ありませんでした。
大人になってから、振り返ればこの場面では、おっちゃん達の目の保養になっただけだったように思います。
母はよく、恥ずかしいのはお仕置きにはええことや、お仕置きの効果が出るさかいな、と言っておりました。
20歳の成人式にやいとの据え止めをして貰って、今はもう母からのやいとから50年を超えております。
しかしあの時のやいとは、大変想い出に残るものであり、多くのやいとの中でも、数少ない耐えがたい辛い辛いお仕置きでありました。
大変みっともない、恥ずかしいお話ですが順子さん、小百合さんにも50年前の私たちの大阪のお行儀のやいとを聞いていただきたく、今回わたしも書いてみました。



[1021] Re: naoさんありがとう

投稿者: やいとむすめ 投稿日:2017年 8月 2日(水)00時46分54秒   通報   返信・引用 > No.1020[元記事へ]

早速お答えくださいましてありがとうございました。
中学生のころは、良くやいとを据えられました。
おねしょうは、小学3年が最後だったように記憶しています。


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